数奇草

四畳半に魅せられた理系学生の備忘録

君は備忘録をつけるフレンズなんだね!

 

 三回生の後期にとったデータ解析の講義で「日々の記録をつけることは大事だよ」と先生が何度も言っていたことを思い出したので、今度こそコツコツ書いていこうかなと決心した。

 

 たぶん書く内容は

 

python(現在勉強中)

・自分の研究・勉強

・アニメ(見る頻度は少なくなってきた)

・自作小説の悩み

 

 などを予定している。予定しているなのでするとは言っていない。

 日々の思い出は記録しないのか?という声が上がるかもしれないが、そんなことはFacebookに繁茂しているリア充の方々に任せよう。こちとら思い出したくない黒歴史をわざわざ全世界に公開してやる義理はないのだ。人生は後悔という航海だとか上手いことを言ったやつがいたが、極力後悔はせず、そして無駄なエネルギーは使わずに最大の利益を生み出すのが僕のモットーである。

 

 ちなみに日記のタイトルのことなのだが、実を言うと僕はけものフレンズを見たことはないのであった。

2月27日

 生まれてこの方初めて、休日というものを体感した気がした。

 私は思えばいつも何かに気を張っている、これは一種の強迫観念かもしれない。最近とくに気にしているのは、夏に控えた大学院入試とこれからの自分の研究者としての道筋だ。あーでもないこーでもないと頭の中で意識的に、ときには無意識的にこねくり回す癖がついてしまっている。

 

 それに対して、何故か今日はまるで心の中のそういう気持ちが解けるような感覚がして、今も暖かなストーブの脇でこれを書いているが、いやに胸の内が透き通っているように感じる。まるで綺麗な水が心の中に満たされているようだ。(へんな薬を吸ったとかそういうことではない)

 

 

昨日ノ現と今日ノ夢

 

 昨日は空腹でふらつきながらなんとか死力を振り絞って買い物に行く途中で少し不思議なことがあった。

 

 小雨がぽつぽつと降り始めた空の下、傘もささずに道路脇で一人佇む老婆。僕は一体何をしているのかと訝しげに通り過ぎようとしたが、老婆はなにやら僕に言いたげな視線をこちらに飛ばしていた。

 若干警戒しつつ僕は老婆に話しかけた。

 はじめのうちは要領を得ない老婆の説明に首をかしげたが、どうやら過去に転んで腰を痛めた経験がトラウマになり、一人で坂の下のコンビニにいくのが怖くなって困っていたそうだった。そして、たまたま通りかかった人の良さそうな僕に一緒にコンビニに行ってくれないかと頼んできた。

 僕はおなかが空いてはいたが、人への親切心を忘れるほどではなかったので快くその頼みを引き受けた。老婆の右手を握り、転ばないように慎重に歩いた。

 老婆は最近夜中に目が冴えて眠れなくなっていたので、安い寝酒を買いたかったらしい。

 僕一人ならコンビニに行って往復するなんて十分もかからなかっただろうが、なにせ牛車のごとき歩みだったので老婆と別れる頃にはおそらく三十分くらい経っていただろう。

 もちろんその間に黙っているのもなんなので僕は老婆とお話をしながら歩いた。とはいっても、大体は片方が自分のことを話す一方的な会話で、僕は終始それに相槌をうっていた。

 彼女の身の上話、親切にしてくれた僕に対する褒め言葉、老婆はたまに同じ事を言うこともあったが、僕は特に目くじらをたてずただひたすら聞き手に回っていた。

 そして、老婆を彼女のアパートの部屋まで送り届けた。娘と二人暮らしらしいのだが、娘は仕事で忙しくて頻繁に家を空けているらしく、老婆は少し寂しそうだった。

 別れ際、もしなにか困ったことがあってどうしようもなくなったら、彼女のポストに名前と電話番号を書いて入れてくれればいつでも相談事にのってあげると言われた。たった一度会っただけの自分を信用するのは難しいだろうけど、こうみえても昔は色々と他人の相談事にのっていたそうだ。

 とりあえず僕はその厚意に感謝し、別れを告げた。その心の内ではおそらく自分は老婆のところを尋ねることはなしないだろうなと思っていた。別に老婆が怪しかったからというわけではなく、ただ単に、徐々に自分の心をコントロールできるようになってきたので他の人に頼らずとも一人で歩いて行けるような気がしていたのだ。

 それともう一つ僕は思ったことがあった。それは僕が昔読んだ「四畳半神話体系」という本の主人公のことについてだった。主人公の「私」は大学三回生のときに不思議な老婆に何度も繰り返す世界で何度も出会っている。そして、私はその老婆に占いをしてもらうという場面があった。

 僕は占いはもらっていないが、どこか怪しげで不思議な雰囲気のある老婆に大学三回生のときに出会うという出来事はなんとなく主人公の私と自分が重なるところが在るような気がした。すこしマイルドな刺激ではあったが小説の出来事のようなことも起きることがあるんだなと少し感動した。

 

 ここで打って変わって僕が今朝見た夢の話なのだが、電車の中で強面のマッチョのお兄さんと筋肉について話すという内容だった。なんか、昨日現実で体験したこととさして変わらないレベルの内容だなと思った。

 寝てかさめてか 夢かうつつか

 現でも夢みたいなこともあるもんなんだなと改めて関心したのであった。

深層心理?

 適当な題材を選んで日記をつけようとすると、僕は必ず最初に「自分の文章力」について書こうとしてしまう。

 そもそもこの日記を思い出したかのようにつけるのにはどれほど自分の文が上達したかを確かめるという理由がある。

 しかし、それにしたって似たような題材で書きすぎだと思う。誰も読まないからと言って同じ事ばかり書くのはナンセンスに違いない。

 

 そこで今日はいつもと違うお話の方向を目指そうと思う。別に僕は普段色々なことを考えているからこんな話もできるんだぞという自慢話をするわけではないことを予め言っておく。というか、結構考えているようで毎日を漫然と過ごしてしまっている節さえある。この場を借りて反省しておこう。

 

 と、前の段落の文章を書いてからだいぶ時間が過ぎた。そして、僕は今書くことがないという事実に打ちひしがれている。今日の一日のことを書き留めようにも「バイトをして勉強をした」で終わってしまう。文章要約という点では実に端的で満点をとれるだろうが、人間の一日にしては寂しすぎる。

 とはいっても、内容自体は充実している。バイトは楽しかったし、勉強もこれからの自分の伸びが楽しみで仕方がない。

 じゃあここで寂しいのは一体何なのだろう。こういうとき、自分が無意識的に使った言葉というのが今自分の心の奥でうごめく感情を表わしていると僕は考える。

 今現在は地元から離れて一人暮らしをしているわけなのだが、それが単純に寂しいのではない。いつまで経っても近くの友人に心を許せない自分の心が寂しいのだ。

 実際、僕は変わり者である。今の僕の狭い交友関係では所謂「親友」というのを見つけるのはきっと至難の業だろう。地元の友達はどこか他人と違っている人ばかりで、やっぱり友達には悪いが、変人の僕と仲良くなるくらいだからみんな少しベクトルが変な方向を向いているの。

 じゃあどうやったら地元から離れたこの地でも親友ができるのか。サークルに入るべきなのか、外に出て人とのふれあいを増やすべきなのか。考えてみたけど、はっきり言って面倒くさい。

 

 この結論にいたること自体が寂しいのだろうか。あ、ちなみに「寂しい」と「淋しい」は違っていて…… と話題がなくなってきて無理矢理もっていこうとしたが無理なようだ。

 

 疲れ切った頭でこれ以上考えるのはムリです。