数奇草

四畳半に魅せられた理系学生の備忘録

嬉しい発見

 

 高校からの友人とアパートの近くの定食屋に赴いた。

 その定食屋に関する情報はあまり持っておらず、半分博打気分で生姜焼き定食を頼んだところ案外美味しかった。

 元々僕は自炊派なので友人とでしか外食はしないのだが、その数少ない機会で近所のあたりの店を見つけられたのは幸運としかいいようがなかった。

 

 お店のおばあさんも優しげな人で(しかし京都人は外見は穏やかでも中身は般若というらしいが)店の雰囲気も落ち着いていてたまにぶらっと食べに行ってもいいかなぁと思えるほどだった。

今期の目標

 今日から大学の講義が始まることだし、思い出したかのようにここに今期の目標を綴ろうと思う。

 

 まずは勉強面から今期中に読破したい学術書のリストアップ(2016/4/8現在)

・熱力学-現代的な視点から- 田崎晴明

・熱力学の基礎 清水明

・理論電磁気学 砂川重信

・geodynamics D.Turcotte 他

地震学 長谷川明 他

流体力学 今井功

 

 各々の演習書も適宜進めていきたい。

 

 生活面での目標は

 

・自宅ではなく図書館で集中して勉強する時間を増やす

・毎週土曜に息抜きに市営図書館に行って本を読む

・週に2~3回筋トレを行う

 

 特に料理において

 

・カレーパウダーを自作する

・ケーキ類のレパートリーを増やす

 

 のあたりを念頭に生活していきたい。

 最後に創作活動における目標なのだが、今期はあまり力を入れないようにしたいと思っている。ネタをためる期間とでもいうか、小説は年をとった方が味が出る場合もあるし書けないのなら焦って書く必要もないだろう。

 

 肩の力を抜きつつ燃える(萌える)闘志を絶やさぬよう、これから前期を頑張っていきたい。

第三十夜

 

 天気が優れない日が続いている。雨の日は人が外にあまりいないので僕は好きだ。人のたてる音が雨音で相殺されるし、視界も灰色がかる。つまり、他人の存在が希薄になるのだ。

 

 そして、曖昧でぼやけた世界で独りぼっちの僕は淀んだ空を見上げている。その顎先からは水がしたたり落ちるけれど、それが涙なのか雨なのか僕自身ですらわからない。

第二十九夜

 

 若者よ悩め。

 僕には一つ年上のとても優秀な兄がいる。昔から僕は兄の影に隠れてその足跡の上をこっそりついてきただけにすぎない。

 思えば人生の分かれ道ではいつもその後ろ姿ばかりを追っていた。

 十代のころに誰もが遭遇する人生の岐路は「進路」である。どの高校へいくか、それからは就職するか大学に行くか、自身の人生の可能性の前にいきなり立たされて右往左往して無器用ながらもがいて、決意をする。僕はその大人になる通過儀礼ともとれる行為から逃げた臆病者だった。

 僕は兄と同じ高校に行った。口だけは兄と同じになるのは嫌だとか、僕は自分のことは自分だけで決めてきただとか偉そうなことを言っていた。本当はその後ろからでて社会の視線に晒されるのが怖い臆病者に過ぎないのに。誰よりも自分が賢いと思った誰よりも愚かな人間だった。

 そんな僕にも転機がやってきた。大学受験である。兄は順当に現役で国内最高学府に見事入学した。それでは次の僕はどうする?同じ大学に行くか?同じ学部に行くか?また兄の金魚の糞に成り下がる気か?

 ここにきてようやく僕は決心がついた。兄とは違う大学に行こう、そう決意した。

 と、ここまではよかった。だがしかし、じつはこの決意の裏でまたもや僕は最悪の間違いを犯していた。

 兄とは違くなること、それは自分の道を見つけて自分になること、そのはずなのに、僕が到達した考えは全く的外れなものだった。「僕は兄にはなれない。僕は兄より劣っている、だからすでに僕と兄は違う」

 それからの僕はあまりにも惨めだった。結局は兄と違う大学こそいったものの兄と同じ学部に歩を進めてしまったのだ。ただ兄がそうであったからと盲目的に。つまるところ、兄とは違う自分になるしかないという現実を受け入れつつ、今までが兄の後ろしか見ない人生だったから、兄のつけた足跡から大きくそれるのが怖かったから、最終的に一歩を踏み出せなかったのだ。

 

 人生は後悔という名の航海だという言葉を聞いたことがある。自分で決められたのに決められなかった苦しみを背負うことが後悔だ。たとえ自分が行きたかった道とはそれていても内心で納得できていれば後悔をすることはない。自分の心との対話をできていれば後悔なんてありえないのだ。

 

 おぉい、僕はもうこれだけ悩んだんだ。僕の心さんよ、そろそろ僕の目の前に出てきてはくれないか。そうして知りたいんだ。僕が何を望んでいるのかを。こんな頼りない僕でも君となら頑張っていける気がするんだ。だからさ、無視しないでおくれよ。

 

第二十八夜

 

 一人暮らしというのはとても辛いものだ。それは自分を見つめる時間が多くなるからである。そしてそれをしたくがないために、遊びや趣味に逃げる人が多いのが事実だ。

 自分を見つめるのはとても辛い。僕は何度も鬱になりかけたし、ずっとイライラしてしまう日もある。それでも少しずつ自分との向き合いかたを学んでいる。

 とてもとても些細なことでもいい。たとえば、僕はストレスを感じたら外をゆくっり歩くと気分転換になるとかといったつまらないことでもいい。もっともっと自分を知ろう。

 知れば知るほど自分が嫌いになるというのは嘘っぱちだと僕は思う。知るというのは認識とは違う。認識→思考→理解という過程を経て知ることになるのだ。認識だけで僕自身を語るとしたら最低な人間という結果に落ち着くだろう。でもそれは当たり前だ。なぜなら僕はまだたったの20年くらいしか生きていないのだ。今が最高ならこれからは下っていくだけ、今が最低ならこれから上っていくだけなのだ。

 理解までいったのに恐怖心から最低の自分から抜け出せないのもナンセンスだ。物事はやってみれば案外うまくいくもの。ただし、自分はできっこないと思ってやったことは絶対に失敗するからそれだけは注意するべきだ。とりあえず怖かったらやってみることが大事だと思う。死んでもやりたくないというのなら話は別だがなんとなく気乗りがしない程度なら自分に活を入れてでもやることをお勧めする。

 このサイクルを繰り返していくと自分を知ることは自分が伸びることにつながる。伸びる自分が嫌いだ!なんていうひねくれ者でもない限り、きっと自分を好きになれると僕は信じている。

 僕はまだまだ自分が嫌いだ。すぐに落ち込むし、まだ怖くてやれていないこともたくさんある。それでも、僕は僕を好きになる伸びしろがあるという前向きな気持ちで人生の長い道をこれからも歩んでいきたい。