数奇草

四畳半に魅せられた理系学生の備忘録

差し迫る大学院入試

 忘れた頃に更新をしているこのブログだが、8月の頭の大学院入試を期に少しリニューアルしようかなと考えている。

 

 以前の記事は残しておく。けれど内容は自分の日々を綴るというよりも、自分が勉強した内容をまとめたり、読み終わった本の感想を投稿したりと、僕自身の実生活から焦点をずらそうと思う。

 

 院試後の予定を増やさないと院試のプレッシャーに負けそうとかそんな軟弱なことは考えてはいないが、早く院試おわらないかなー。

僕と他人

 

どうやったら人を好きになれるんだろう。

 

これは最近の僕の悩みだ。

少し前までは他人なんて大嫌いだし、それが自分の中で当たり前だと思っていた。

けれども、色々な経験を積むうちに自分の中で当たり前になっていたそれに疑問が浮かぶようになった。

 

別に全ての人を愛せる博愛主義者になりたいわけではない。そういう偽善者は今でも嫌いだ。それでも、他人を「嫌い」から始めるか「好き」から始めるかという問題を提起されたなら、やっぱり「好き」から始める方が格段にいい。

 

他人が好きな人にはその人のことが好きな人が自然と集まってくる気がするのだ。それは笑顔でいる人の周りには笑顔の人が溢れかえるように。

 

僕は少し他人というものに怯えているに違いない。誰だって分からないことは怖い。知らないものは自分の存在を揺るがせる可能性を生み出しうるからだ。だから、他人と接する、しかも見知らぬ他人と接する機会を増やせば自然と今のこの悩みも解消していくのかもしれない。

 

一朝一夕にうまくいくことではないけれども、少なくとも、僕は自分の周りにいる人はずっと笑顔でいて欲しい。だから、僕は今日から人を好きなろうと思う。

Pythonian

 

思い返してみれば最近は起きている間の八割はpythonについて考えている。今までは他の言語でも出来るような書き方しか出来てなかったけど、そろそろリスト内包表記をばりばり使っていかないとな。そういう書き方が出来る人をPythonianと人は呼ぶらしい。

 

僕も今日はホフメラー図を描いたり、モジュール化したプログラムを作って時間の短縮を考え始めたりと、ただ書くだけから一歩先を意識できるようになってきた感じがする。

でも来月の頭から始まるKFの実装くらいできないと一歩先を意識するにはまだまだ早いかもしれない。まだまだ修行が足りないのかも。

カビの季節は機嫌が悪い

 

自分で驚くほどの文章力のなさに脱帽する昨今、思考の整理術とかいう本があるらしいから一度は読みたい。読んだところで整理できる可能性は0だと思っているが、「私はこうして思考を整理したったw」という傲慢を見てみたい。きっと著者の中では自分の思考は理路整然としていて、これは他人にも教えてあげよう!エウレカ!とでもいう気分なんだろうなぁ。

 

今日は先輩から、本質的なことを見失ってそれ以外にリソースを使いすぎるのもどうかと思うという風体の忠告をいただいた。

たしかに、カオスの判定とか線形安定性解析とか誤差発達率とか、ぜーんぶ僕にはあまり関係のない話だもんな。さっさとそこらへんは先輩に頼って終わらせて本質的なKFとかアジョイント法とかの本を読みあさっていた方がいいかもしれんな。

 

それにしても相変わらず先輩の言うことの的確さというか、今の僕に必要な言葉を正確に授けてくれるその慧眼には憧れる。なにせ先輩は教授に10年に一人でるかの逸材っていわしめているくらいだもんな。僕なんかは10年に一度の変人くらいしかいわしめる自信がないです。こんなんでD進なんてしたらまさに高学歴の落ちこぼれのできあがりでございます。変に卑屈でそのくせプライドが高い人間になんてなりたくない……

忙しくても

 

僕はどんなに忙しくても睡眠時間と癒やしの時間を決して削らない。

何があっても一日に7~8時間は寝るし、何があっても最近のマイブームのARIAは見る。

しかし、ARIAはこっぱずかしいシーンもあるから(年をとるとそういうこともある)、純粋な癒やしではないかもしれない。でも牧野由依さんの歌う主題歌はイイゾ。

 

データ同化で同じグループになった先輩の頭がぶっ飛んでて(賢すぎる方のベクトルで)、それを間にあたりにして若干へこみ気味の最近だが、めげずに生きたい。