数奇草

四畳半に魅せられた理系学生の備忘録

我慢 != 美徳

 

僕の食事の時間は全部で三回あって、8:00、14:00、8:00に食べている。だいたい6時間くらいの等間隔で食べているわけだが、昼飯、夜飯前は体が浮遊しているような感覚に陥るくらいの空腹になる。そして、ご飯を食べたときの喜びといったらそれ以上のものはない。「食」って本当に大事、おいしい!というように俗世的な考えすら浮かぶ。

 

やはり、我慢した後のその解放は筆舌しがたいほどの喜びに満ちていると思う。でも、ひとつ注意しなくてはならないのは、我慢というのは美徳ではないということだ。

我慢というのは方法の一つだ。なんの方法かというとさっきから言っているように、「いつもの何倍もの喜びを得る」ための方法だ。それは決して目的ではない。

 

人が方法としていたことをいつのまにか目的にしてしまうというのは、結構多い。ぱっと思いつくならお金だろうか。お金は流通に用いられる手法だったが、それを稼ぐことが目的になっていると解釈できるということだ。

 

だから、我慢=美徳というのは我慢を目的としたなぁんの意味もないことなのだ。我慢に食われているとでも形容できるかもしれない。

 

僕は好きなときに我慢して好きなときに我慢しないような生き方がしたい。