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数奇草

四畳半に魅せられた理系学生の備忘録

深層心理?

 適当な題材を選んで日記をつけようとすると、僕は必ず最初に「自分の文章力」について書こうとしてしまう。

 そもそもこの日記を思い出したかのようにつけるのにはどれほど自分の文が上達したかを確かめるという理由がある。

 しかし、それにしたって似たような題材で書きすぎだと思う。誰も読まないからと言って同じ事ばかり書くのはナンセンスに違いない。

 

 そこで今日はいつもと違うお話の方向を目指そうと思う。別に僕は普段色々なことを考えているからこんな話もできるんだぞという自慢話をするわけではないことを予め言っておく。というか、結構考えているようで毎日を漫然と過ごしてしまっている節さえある。この場を借りて反省しておこう。

 

 と、前の段落の文章を書いてからだいぶ時間が過ぎた。そして、僕は今書くことがないという事実に打ちひしがれている。今日の一日のことを書き留めようにも「バイトをして勉強をした」で終わってしまう。文章要約という点では実に端的で満点をとれるだろうが、人間の一日にしては寂しすぎる。

 とはいっても、内容自体は充実している。バイトは楽しかったし、勉強もこれからの自分の伸びが楽しみで仕方がない。

 じゃあここで寂しいのは一体何なのだろう。こういうとき、自分が無意識的に使った言葉というのが今自分の心の奥でうごめく感情を表わしていると僕は考える。

 今現在は地元から離れて一人暮らしをしているわけなのだが、それが単純に寂しいのではない。いつまで経っても近くの友人に心を許せない自分の心が寂しいのだ。

 実際、僕は変わり者である。今の僕の狭い交友関係では所謂「親友」というのを見つけるのはきっと至難の業だろう。地元の友達はどこか他人と違っている人ばかりで、やっぱり友達には悪いが、変人の僕と仲良くなるくらいだからみんな少しベクトルが変な方向を向いているの。

 じゃあどうやったら地元から離れたこの地でも親友ができるのか。サークルに入るべきなのか、外に出て人とのふれあいを増やすべきなのか。考えてみたけど、はっきり言って面倒くさい。

 

 この結論にいたること自体が寂しいのだろうか。あ、ちなみに「寂しい」と「淋しい」は違っていて…… と話題がなくなってきて無理矢理もっていこうとしたが無理なようだ。

 

 疲れ切った頭でこれ以上考えるのはムリです。