したい、なりたい、しりたい
音楽を題材にした作品で「音」に触れるたびに僕は必ず後悔することがある。それはピアノを習っておけばよかったというものである。
両親は決して僕にピアノを習う機会を与えなかったわけではない。というかむしろ、ピアノを習いたいか幼いころの僕に尋ねたことがあったらしい。
そして、それに対する僕の答えは「女の子みたいで嫌だ」だったそうだ。しかし、もし今の僕が母に同じ質問をされたら「やりたい!」と答えるに違いない。これはなぜなのだろうか。
一つは音楽を聴くということに楽しみを見いだせるようになったということだろう。そして、他人がやっているのを見れば自分もやってみたくなる。僕はそういう性格なのだ。
もう一つの理由は、「他人にムリだと言われることを一つでもいいからやってみたい」という気持ちがあるからだ。ピアノは運動と同じで幼いころからの鍛錬でのみ開花することができる。つまり二十歳にもなったおっさんには到底プロのように引くには無理な話というわけだ。
実際のところ、プロになりたいわけではない。そうなれるのならばなりたいが、それが高望みであることくらいは十分に承知である。
ムリだと嘲笑されても徐々に上手になっていく自分を知りたいのだ。他人に理解されなくても、自分自身で納得し突き詰めれば、満足のいく結果が得られることを知りたいのだ。