数奇草

四畳半に魅せられた理系学生の備忘録

第二十九夜

 

 若者よ悩め。

 僕には一つ年上のとても優秀な兄がいる。昔から僕は兄の影に隠れてその足跡の上をこっそりついてきただけにすぎない。

 思えば人生の分かれ道ではいつもその後ろ姿ばかりを追っていた。

 十代のころに誰もが遭遇する人生の岐路は「進路」である。どの高校へいくか、それからは就職するか大学に行くか、自身の人生の可能性の前にいきなり立たされて右往左往して無器用ながらもがいて、決意をする。僕はその大人になる通過儀礼ともとれる行為から逃げた臆病者だった。

 僕は兄と同じ高校に行った。口だけは兄と同じになるのは嫌だとか、僕は自分のことは自分だけで決めてきただとか偉そうなことを言っていた。本当はその後ろからでて社会の視線に晒されるのが怖い臆病者に過ぎないのに。誰よりも自分が賢いと思った誰よりも愚かな人間だった。

 そんな僕にも転機がやってきた。大学受験である。兄は順当に現役で国内最高学府に見事入学した。それでは次の僕はどうする?同じ大学に行くか?同じ学部に行くか?また兄の金魚の糞に成り下がる気か?

 ここにきてようやく僕は決心がついた。兄とは違う大学に行こう、そう決意した。

 と、ここまではよかった。だがしかし、じつはこの決意の裏でまたもや僕は最悪の間違いを犯していた。

 兄とは違くなること、それは自分の道を見つけて自分になること、そのはずなのに、僕が到達した考えは全く的外れなものだった。「僕は兄にはなれない。僕は兄より劣っている、だからすでに僕と兄は違う」

 それからの僕はあまりにも惨めだった。結局は兄と違う大学こそいったものの兄と同じ学部に歩を進めてしまったのだ。ただ兄がそうであったからと盲目的に。つまるところ、兄とは違う自分になるしかないという現実を受け入れつつ、今までが兄の後ろしか見ない人生だったから、兄のつけた足跡から大きくそれるのが怖かったから、最終的に一歩を踏み出せなかったのだ。

 

 人生は後悔という名の航海だという言葉を聞いたことがある。自分で決められたのに決められなかった苦しみを背負うことが後悔だ。たとえ自分が行きたかった道とはそれていても内心で納得できていれば後悔をすることはない。自分の心との対話をできていれば後悔なんてありえないのだ。

 

 おぉい、僕はもうこれだけ悩んだんだ。僕の心さんよ、そろそろ僕の目の前に出てきてはくれないか。そうして知りたいんだ。僕が何を望んでいるのかを。こんな頼りない僕でも君となら頑張っていける気がするんだ。だからさ、無視しないでおくれよ。