数奇草

四畳半に魅せられた理系学生の備忘録

我慢 != 美徳

 

僕の食事の時間は全部で三回あって、8:00、14:00、8:00に食べている。だいたい6時間くらいの等間隔で食べているわけだが、昼飯、夜飯前は体が浮遊しているような感覚に陥るくらいの空腹になる。そして、ご飯を食べたときの喜びといったらそれ以上のものはない。「食」って本当に大事、おいしい!というように俗世的な考えすら浮かぶ。

 

やはり、我慢した後のその解放は筆舌しがたいほどの喜びに満ちていると思う。でも、ひとつ注意しなくてはならないのは、我慢というのは美徳ではないということだ。

我慢というのは方法の一つだ。なんの方法かというとさっきから言っているように、「いつもの何倍もの喜びを得る」ための方法だ。それは決して目的ではない。

 

人が方法としていたことをいつのまにか目的にしてしまうというのは、結構多い。ぱっと思いつくならお金だろうか。お金は流通に用いられる手法だったが、それを稼ぐことが目的になっていると解釈できるということだ。

 

だから、我慢=美徳というのは我慢を目的としたなぁんの意味もないことなのだ。我慢に食われているとでも形容できるかもしれない。

 

僕は好きなときに我慢して好きなときに我慢しないような生き方がしたい。

2017/04/13

 

ついに研究室のhomepageに僕の写真とコメントが公開されるという黒歴史の新たな幕が開けた。面倒くさいから結局テンプレみたいなコメントになってしまったが院生になったときはもうちょっと個性を出そう。

 

院生になる頃には嬉々として自分の研究を語れる理系ボーイになりたい。頑張ってなろう。

 

今日は19時過ぎくらいまで研究室でPythonと戯れていた。自分ではきちんと型にあった配列を渡しているつもりなのだが、どうにもうまくいかない。明日修正をした後に先輩に相談してみようと思う。先輩といっても近くにPythonのできる人がいないため他研究室のドクターの人なのだが……。

 

急がば回れ

 

昨日は動悸がするほど緊張していたデータ同化だったが、論文を読んだら多変数の場合のRK4をきちんと頭の中で整理できていなかったがために必要以上に恐怖心を抱いていただけだったかもしれない。とはいっても、RK4は課題の序盤に過ぎず、これからどんどん難化していくのだが……

 

忘れないうちに先生宛にホームページに掲載するコメントと写真を送らなければならない。先輩の去年のコメントをほぼほぼ写す感じでいいみたいだが、やっぱり他人を模倣するというのは僕のプライドが許さない。かと言って熱心に考えるほどのことでもないし、どうしたものか。

 

最近、集中したいときに聞いてる音楽↓


最高of最高

黄色信号

 

データ同化の講義をとることにしたのだが、すでに心がとてもしんどい。

家にいるときでさえ胸苦しさを感じる。やれるべきことを一つ一つこなしていくしかないと自分に言い聞かせてまずはローレンツモデルの勉強から始めようと思う。

 

それと同時並行にPythonの勉強も急ピッチで進めなくちゃならない。今までの自由時間が全て大学に奪われるかと感じるとどうしようもなく怖い。

四回生になって鬱病になる人が増えるらしいけど、これはそういうことなんだと納得している。

 

マイナスなことばかり書くとこの世から消滅しそうなので、最後にちょっと今日嬉しかったことを書く。

一回生のときの地学実験で3週くらいお世話になったTAの人がいたのだが、その人が当時僕のことをいたく気に入ってくれたことがあった。その人は今、別なキャンパスでドクターとして在籍しているらしいのだが、人づてに聞いた事ながらまだ僕のことを憶えていてくれたらしい。是非僕に自分と同じキャンパスに来て欲しいと今もなお気に入ってくれているようで、嬉しかった。僕はその期待に見合うかどうか分からないけれど、とりあえず頑張ってみます。

2017/4/10

 新しい学期が今日から始まり、校内は石の裏から湧いて出たように人が沢山いた。正直、しんどかった。

 

 こういうときにTwitterで「しんどい」などと昔は呟いていただろうが、僕は今年度に入ってからTwitterを動かしていない。Twitterはリアルを実況するような真似事が出来るツールだ。でも、それのせいでなぜか僕は現実に生きている感覚がしていなかった。やめてみて初めて人に逢いたいという気持ちが起きた。今思ったことを、仲のいい人に話したい。ネット上の誰かも知らない人にではなく、Facebookの大して仲良くもない相手にでもなく、友達に教えたいと強く感じた。

 

 ポケモンGOなどで仮想空間と現実の判別がつかない子どもが育ってしまうのではないか、という懸念を聞いたことがあるが、もしかしたら大人だってもう仮想空間の中にどっぷりつかりきって、それにさえ気がつけていないのかもしれない。