数奇草

四畳半に魅せられた理系学生の備忘録

久々の長期帰省

 

 僕が実家に帰省してから半月が経過した。

 関西のうだるような暑さから逃れるために東北に引っ込んでいるわけなのだが、一向に関西は涼しくなる気配が見られない。どうやら今年は残暑が厳しいらしい。そろそろ帰りたくなってきた頃合いなので僕が関西に戻るのと同時に秋が訪れてくれないものだろうか。

 

 今日は思うことがあって書き始めた。

 

 文章にする作業は単に自分の考えをアウトプットすればいいもののように思われがちだが、どうしても自分の知っている単語ではしっくりくるニュアンスを表現できないことがある。つまり、存外文章は案外難しいのであるということだ。

 

 この上段落が僕の考えを垂れ流しただけの文章である。どうにも当たり前のことを偉そうに言っている恥ずかしい人にしか思えないのは僕だけだろうか。僕の文章はあまりにも酸化してしまっている。本当はもっと伝えたいことがあるのに、文章になるころには考えはボロボロになってしまっている。

 ところでfacebookなどで投稿される短文を読むだけでその人の文章力は一目瞭然だ。ぼくが書く文章は支離滅裂なのに対して、他の人の書く文章はうまくまとまっていて読みやすいと思うことがしばしばある。

 そういう文章を目にすると僕は悔しくて自分が情けなくて強い憤りを感じる。机を強く叩きたくなるくらいの劣情が心の中を満たす。誰にも何にも八つ当たりのできない感情が全身の毛穴から吹き出すのさえ感じる。

 文章は書けば書くほどうまくなる。それが分かっているくせに書かない。努力をすることが大切なのはわかるがすぐに面倒くさくなってしまう。こんな人間になにができるというのだろうか。

僕を綴る

 

 文字を書くという行為はほとんどの人が経験したことがあるだろう。
 親しい人に手紙をしたためるとき、講義の板書を写すとき、ちょっとしたことを紙に書き留めるときなど文字は様々なところで活躍する。
 

 僕は文字を見たり書いたりするのが好きだ。綺麗に字が書けた日は上機嫌にさえなるほどだ。
 とはいっても型にはまったような文字は好きではない。一人一人の個性がにじむような文字、その人を表わすような文字を見るのが好きなのだ。

 最近はパソコンで手軽に文字が打てるようになった。判を押したようなつまらない文字の羅列が今日も氾濫する。紙の上をペンが走るあの感覚も、走るときにたてられる爽快な音もいまや消えつつある。

 ただ無機質で豊かさも感じられない。惰性で連なる文字列。不自然なほど綺麗に整えられた世界で今日も僕は不器用に生きる。

 

 

 

 

きみのせかい

 

 私はきみが好きだ。きみのことを見るたびにきみの見る世界がどうなっているのかと思う。

 きみの瞳はいつも綺麗だ。透き通るように黒い瞳は輝いていて、きみのせかいがどんなに眩しいものかわかる。

 きみの瞳に映る景色はすべて綺麗にみえるんだろうなあ。私がいつも通る路地裏も見上げる青い空もきみを通してみればどんなに輝くのだろう。

 私はきみの瞳に映るものを見るたびに涙が出そうになるくらい胸があつくなるんだ。

 でもね、私は知っているんだ。

 きみをよく見る私は知っているんだよ。

 きみの瞳に私は映っていないんだって。

したい、なりたい、しりたい

 音楽を題材にした作品で「音」に触れるたびに僕は必ず後悔することがある。それはピアノを習っておけばよかったというものである。

 両親は決して僕にピアノを習う機会を与えなかったわけではない。というかむしろ、ピアノを習いたいか幼いころの僕に尋ねたことがあったらしい。

 そして、それに対する僕の答えは「女の子みたいで嫌だ」だったそうだ。しかし、もし今の僕が母に同じ質問をされたら「やりたい!」と答えるに違いない。これはなぜなのだろうか。

 一つは音楽を聴くということに楽しみを見いだせるようになったということだろう。そして、他人がやっているのを見れば自分もやってみたくなる。僕はそういう性格なのだ。

 もう一つの理由は、「他人にムリだと言われることを一つでもいいからやってみたい」という気持ちがあるからだ。ピアノは運動と同じで幼いころからの鍛錬でのみ開花することができる。つまり二十歳にもなったおっさんには到底プロのように引くには無理な話というわけだ。

 実際のところ、プロになりたいわけではない。そうなれるのならばなりたいが、それが高望みであることくらいは十分に承知である。

 ムリだと嘲笑されても徐々に上手になっていく自分を知りたいのだ。他人に理解されなくても、自分自身で納得し突き詰めれば、満足のいく結果が得られることを知りたいのだ。

 

 

 

 

タイトルをつけるのが億劫

 

 高校時代の悪友のIが約1年半を同棲生活の末にゴールインした。

 これだけなら誰にでもあり得そうな平々凡々なことだ。しかし、Iはまだ僕と同じ大学生なのだ。つまるところ、彼は学生結婚をしたのである。しかもその結婚理由が出来婚なのだから少し僕は心配である。

 僕もIも普通の進学校を出たときは社会に対してそこまで耐性のできていない子どもだった。それは今でもそこまで変わっていないと思う。そんなIが社会経験豊富そうな女の子と出来婚したのだから、邪推したくなるのもしかたがないだろう。

 とはいっても会ったこともない女性のことを悪く書くようなナンセンスなことをする気は毛頭ない。とりあえず、何かあったら少しはIの助けになれるように心構え程度はしておこうと考えている。

 

 それにしてもついに同じ高校で結婚して子どもができたやつが現れてしまったのか…… 

 僕は生きてきて王道みたいな恋愛をしたこともないし、それに準ずるようなものもほとんどしたことがない。たぶんこれから先もないだろう。全く色々と悩みを抱え込んでいるのに、結婚なんていう新たな敵をこちらに放り投げてこないでもらいたいものだ。